ゲシュタルト (Gestalt) とは? -- 「ゲシュタルト・スウィッチ」の不可欠性
”皆さんこんばんわ!DOPAです^^
今日は、連載2週目で「抽象的 vs 具体的」〈第2弾〉になります!
今回、皆さんにお伝えする内容は「ゲシュタルト」という概念です。
なぜ「ゲシュタルト」の概念の話をするかというと、普段の我々の思考において、とても大切になってくるからです。我々の知覚や認知には限界と傾向があります。私たちが日々の生活を営む中で、もしくは何か目標を達成しようとするにあたって、人間の物事の認識に対する限界や傾向を知っているのといないのでは、多きな差が出ると思うんです。
いわば、誤った方向に無暗矢鱈と努力をしても仕方がないということです。
ですので、今回は皆さんに「ゲシュタルト」について少し馴染んでもらいたいと思います。
まず、ゲシュタルトとは、元々はドイツ語で「形態」を意味する単語です。
しかし大事なのは、認知科学において「ゲシュタルト」が「全体は部分の総和以上のものである」という意味で用いられるということです。つまり、要素を単純に足し合わせただけではなく、「全体性としてのマトマリをもった構造」がゲシュタルトというわけです。
これは、「還元主義」(部分や要素を単純に合成していけば全体になるという考え方)に対立する考え方です。
ドイツ人心理学者マックス・ウェルトハイマーが「仮現運動現象」(図1)を発見し、『運動視の実験的研究』(1912)を発表したころから「ゲシュタルト心理学」(Gestalt psychology) が始まったとされます。
(図1)
(図1)を見てください。「バイオロジカル・モーション」というのですが、左側の列を矢印の方向に順に追えば、人が動いているように見えませんか?
しかし、個々の白マルは、単なる運動をしているにすぎません。では、なぜこのように我々はあたかも人間が歩いているような運動知覚をしてしまうのでしょうか?
そこで、ウェルトハイマーはあることに気がつきました。それは「人間は刺激を単純なものとして知覚しようとする傾向がある」ということです。これは「プレグナンツの法則」と言われています。我々は、個々の物体(物事)だけを見ているつもりでも、脳は無意識に「全体との関係性の中で」それを捉えようとしてしまいます。
脳は起こること全てを「過去の知識(記憶)を参照して」認識するので、実際には対象は何ら関係のない物事でも、過去の記憶の中からゲシュタルトを形成し、それ風に解釈を変えてしまいます。それも無意識に!ですので、脳は「ありのままの現実」を見ている訳ではありません。
いわば、現象を脳がやりたいように解釈した結果が我々の認識であって、それが私たちにとってのリアリティなのです!
以上、「ゲシュタルト」について長々とした説明になてしまったのですが、次週の「抽象的 vs 具体的」〈第3弾〉につながる極めて重要な概念となってくるので、実際はまだ語り足りないくらいです(笑)
以下に要点だけ復習しておきます!
【Point】
人間の脳は、対象物が集合すると、しばしば無意識的に、それらを個々の物体としてではなく、"瞬時に「全体との関係性に照らし合わせた」上での 認識" をします。
→いわば、「全体と部分の間に双方向の関係がある」ということ
(何ということはない。我々の知覚がそもそもゲシュタルト的なんです!)
ゲシュタルトを2個同時には持てない
そして、重要なことがあと1つあります。
それは、いくら我々が「部分が合わさった全体としてのマトマリ構造」として物事を認識する傾向があるとはいえ、ゲシュタルトは同時に複数持つことができません。つまり、状況や認識したいものによってゲシュタルトを瞬時に切り替える必要があります。
(図1, 2, 3)※左から
(図1)「ジャストローのアヒルとウサギ」
(図2)「ボーリングの老婆と美女」
(図3)「ルビンの壺」
みなさん、一度は見たことがある絵画ばかりですよね?
図1は有名なジャストローの絵画で、見方によってはアヒルというゲシュタルトになったり、ウサギというゲシュタルトになったり…その両方に見えますよね?見たことのない方は、今試してみてください。
図2も有名なボーリングの絵画で、見方によっては「老婆」にみえたり、「若い美女」に見えたり…2つのゲシュタルトに変化します。
図3は、おそらくこの中で最も知られている「ルビンの壺」です。見方を変えると、ゲシュタルトが「壺」になったり、「2人が顔を寄せ合っている姿」になったり。
面白いですよね。
しかしここで重要なのは、「同時に両方は認識できない」という点です。すなわち、ゲシュタルトを同時に2個は持つことができない -- ということです。
我々はゲシュタルトは同時に2個は持てないため、片方ずつしか認識できないんです。このゲシュタルトの瞬時の入れ替えを「ゲシュタルト・スウィッチ」(Gestalt switch) といいます。
例えば、「赤い車が道路に何台通るか」数えているとしましょう。
「赤い車の数」を意識している時に、我々の多くは「その車がTOYOTAだったか、HONDAだったか、はたまたBMWだったか」ということには気づけません。
→すなわち、「赤い車」というゲシュタルトを持っている時は、車の機種に関する情報は「スコトーマ」(盲点)に隠れてしまうのです。同時に両方を意識することはできません。
(何故なら、脳にはRAS(網様体賦活系)という機能があって、何かを意識上に持ってくるとき、その他の情報はRASのフィルターにかかり、無意識化に追いやられているからです)
※ちなみに、見えている方(「前景化」されるゲシュタルト)を「図」(figure) / プロファイル (profile) といい、一方が見えている時に「背景化」されて隠れているもう一方を「地」(ground) / ベース (base) といいます。
いかがでしょうか?少しは人間の認知のメカニズムが分かってきましたでしょうか?
この「ゲシュタルト」や "RAS" という人間の知覚・認知のメカニズムを知っておかないと、無駄な努力をしてしま足り、挙句の果てに「私には能力がないんだ…どうせ私が努力したところで、何も変わりやしない…」などと目標達成をあきらめてしまいかねません。
臨機応変に、新たなゲシュタルトを随時、作り上げていかないといけないのです。
これで今回の内容はお終いです。最後まで読んで下さり、ありがとうございました^^
何故か今一イメージが湧かない…と思っている方々が大多数でしょう。でも心配ありません。今回は極めて抽象的な説明になってしまいましたが、仕方ないのです。何故なら、我々人間の認知がそもそも抽象的なんですから…
次週の連載「抽象的 vs 具体的」〈第3弾〉において、具体的に目標達成のために、抽象的思考と具体的思考という「ゲシュタルト」を、いかにして状況に応じてスウィッチさせるのか、説明していきます!
楽しみにしていてください♪
ではまた来週~
※(図1)以下のHPから引用
https://ardbeg.c.u-tokyo.ac.jp/pc/studies/2005/hirai.html